「1997年メモリーその②」~置手紙~

なあ、オマエサン。
部屋の整理をしていたら、「教育実習の記録」が出てきた。
小学校の教員免許を取得しないと卒業できない学部だった。
私も数か月間、小学校に教育実習に行って免許も取得した。
結局、一度はあつく志した小学校の教員にはならなかった。
嫌になったのでなく、むしろ教育実習を経て興味は増した。
でも選択したのは他の職業だった。
当時、趣味の音楽制作が仕事になったと浮かれて選択した。
現在も音楽制作は趣味のレベルで気が向いたら行っている。
正確にいうと機材だけが残って、なかなか手が進まないが。
むしろ小説の執筆と落選作品の推敲の方に今は興味がある。
小学校の教員になっていたら一体どうなっていただろうか。
きっと、自滅していたように思える。懸命であればある程。
もちろん、今に至る社会人経験をした後であれば話は別だ。
それなりに伝えたり、選択肢を作ってあげることは出来る。
たぶんだけど。。。
今は、中国という大国を舞台にコンサルの仕事をしている。
現地での人脈と、駆け引きが非常に重要視されるこの仕事。
言葉が似ている部分もあるが、そうでない部分も多いのだ。
微妙な日本人的な言い回しや根回しは、あまり好まれない。
いかにも日本人的な仕事の仕方でやってきた私には難しい。
しかしそんな甘っちょろいことも言っていられない40代。
しっかりと稼いで家族と一緒に歩み、趣味も充実させたい。
遣り甲斐だ、向いているかどうかなんて後付けでいいのさ。
頭で考えすぎていても事態は好転しない。
進めながら考えればいいし、考えながら進めればいいのだ。
ボールを自分に留めておいたままにするのが一番いけない。
判断させるための選択肢をいくつ用意できるか。
それがこの仕事の最も重要なことだと思っている。
大手や外資にいる地頭の良い人種と同じ土俵では勝てない。
いかに状況や人間性に合わせた選択肢を複数用意できるか。
つまり、ロジックではなく、人間力にて勝負するしかない。
長文失礼!
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