「一年前の今日」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

母が他界したのは、昨年の今月20日だ。
だが事実上、別れを告げたのは15日だった。

あまりに痛みが酷いので、強い睡眠系の薬を投与した日だ。
もう会話できない状況になるが、本人が希望。
最後に父と最後の会話を交わし、投与数秒後にはぐっすり眠る。

その年の1月からそこに至るまで、日々、母の近くにいた。
母からは、もう十分に生きたからと何度も聞いていた。
そして激しい痛みがピークに達し、眠りを選んだ。
そうするしかなかったのだろうけど、促されるのではなく、自分で決めた。

自分が母の立場だったら、どうするのだろうか?
同じ選択を口にしつつ、最後に怖気づくのではないかと思った。
やっぱりいやだと言い出したり。
母にそんな素振りはいっさいなかったが、本心は別にあったのだろうか?
わからない。

そんなことを考えた昨年の今日だった。

元気に長生きしたいと思った。
太く短くなんていやだ。細く長く生きたい。
寄り添いたい存在や物事が自分の胸にある限り、長く生きたい。

人生はすでに後半に入っている。
終わりを見据えて、自分をまっとうしたい。

ありがとう。

去年の今日の写真(眠った母の病院から帰ってきたあと)

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