「環境一新と形への依存との違い」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

物事のターニングポイントにおいて、環境を一新することを割としてきた。
いや、そうすることによって、ターニングポイントにしているというのが正確かもしれない。

最近、身の回りのものを少し変えていっている。
もちろん、古くなってきたとか、壊れているからとかの理由もあるが。

プライベートでもWindowsを長らく使ってきた。
それをAppleのMacBook Airに入れ替えた。
中古のM1チップのもの。

元々は音楽制作としてMacintoshから本格的にパソコンを使い始めた。
それはもう大学生の時だ。LC575というMacintoshだった。
まだパソコン通信が残り、インターネットに移行していく時代だ。
大学を卒業して、バンプレストというゲーム会社でサウンド制作の仕事をする頃には完全にWindowsに移行した。
当時はWindows95だったが、MIDIの音楽制作のソフトも充実してきていたからだ。

今回は、それ以来のAppleのパソコンだ。
その進化とWindowsとの差異に多少まごついたが(今もまごつくが)。
ただ、割とすぐに慣れた。

プライベートも同じWindowsを使っていると、どうしても仕事の雰囲気が抜けない。
私は個人的に小説もどきのような物語をひっそりと書いている。今は三作目の佳境。
何か公開する目的ではなく、物語を通して違う人生を歩んでいるようで面白い。

仕事でWindowsを使う時間が長く、プライベートと頭の切り替えがしにくくなっていた。
加え、プライベートの Windowsパソコンは古くて遅く、一部壊れていた。
だから、気分を一新するためにも、マシン自体を一新することにした。

やっぱり同じことをするにも、環境が変わって心地よい。
プライベートではiPadも使っているが、いろんな連携もできて便利。

素敵。

スーツケースも使えるものの、壊れていたので、やや派手なグリーンの軽量に変えた。
真ん中ではなく、前がパカっと開くタイプを探していた。まさしくこれがそう。

素敵。

それ以外にも変えたものはある。
プライベートのミニデスクなども。

願掛けのように何かの一定の形にこだわるというか、何かの物事や言動に依存、執着するのはいや。
そういう意味でのルーティンはいや。
魂を引っ張られているようだし、それで何かうまくいかなかった時にガクッとしてしまう。
形に依存して安住しようとすると、結局、自分軸ではなく、自分以外の軸に引っ張られてしまう。
一喜一憂に振り回され、疲れるし、不安になるし、過剰に期待や心配も増える。
一喜一憂は人間だから当たり前だが、それが自分が軸かそうでないかは大きく異なる。

今回、身の回りを一新しているのは、形に執着しているようにも見えるかもしれない。
だが、そうではなく、この行為は、軸を自分へと戻すためのきっかけだ。
もちろん、それで内実が変わるわけでもないし、それを期待しているわけではない。
同じことをするにしても、もっとシンプルにコンパクトに、近い距離で向き合いたい。
ただそれだけだ。

もっと肩の力を抜いて、自分自身を歩んでいきたい。

青春は回り道。

ありがとう。

MacBook Air(M1)
プラスチックで前が空くタイプは貴重(ハンバーガーのように挟むタイプが多い)

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