「置手紙とは」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

最近は概念的なことばかり書いている。
こういう時はターニングポイント的な時だ。

気がつけば、もうこの置手紙も二十年弱、書いている。
オマエサンが生まれる前からで、記事数も三千記事弱になる。
過去の投稿は某ブログサービスから移転した時に大幅にレイアウトが崩れたままだが。

過去の置手紙は暗すぎて、ふと見返すと気が重くなるものも多い。
だが、文字に書き起こすことで前に歩もうとしてきた。その時々で。
加え、オマエサンに私の経緯を残したいと思って書き続けている。
オマエサンの歩みの参考にも、反面教師にしてくれてもいい。

田舎の両親やカアサン、オマエサンに自分自身が何を考えているかわかるようにしたい。
言葉や文字というものは、想いを語るには不完全だが、それでもきっかけにはなる。
伝えることは、押しつけることではない。
その逆で、寄り添い、そばにいたいから、自分の存在や想いを残すために書く。
それが家族という私にとっての繋がりで、それ以外とは根本的な異なる関係だ。

一方、自分にしかわからないようなセルフメモにもしてきた。
これは自分にだけ残ればいい。
他人と接していて、揺れたり、ずれたと感じた時、自分軸に戻せるように。

今日も四つ自分に残す。

1.心理的なドーピングはやめよう(形に依存しない)。

2.丸く柔らかく、肩の力を抜こう。

3.もう果たしたからさ、ノラリクラリ、足を使っていい。

4.形に依存しない行為自体が、形にならないように。

そう、青春は回り道。

ありがとう。

家族で調布へ。そして真冬のカキ氷を食すオマエサン。

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