「絶え間なく変わる海面」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

気がつけば三月になっていた。
一月の下旬からこの海の地にずっといる。

イレギュラー的な状況も重なったからだ。
だが、そういうものだったという見方もできる。

私自身は何も変わるものではない。
だが、イレギュラー的な状況に軸や視点がずれそうになる。

でも、何も変わる必要はなくて。
状況に少し能動的に慣れる意識があればいい。
これは、むしろアクセルを踏み込む状況なんだと。

家の前の海面、水面は、常にそこにあるようで流れている。
満ちて引いて、満ちて引いて、常にそこは同じではない。
だけど、きちんと意識しないと、執着が淀んで、濁っていく。

海面と同じように流れゆくことを、意識しよう。
そこにあったものは、もうない。
意識ある限り、自分の軸はここにある。大丈夫。

人生はとっくに後半戦。
どんどんシンプルに歩む。

ありがとう。

集落の橋の防波堤
透明度が高く、夏であれば入りたいところ

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