「いろんなきっかけとなった」〜置手紙〜
なあ、オマエサン。
母が亡くなって二ヶ月がたった。
もう二ヶ月? まだ二ヶ月?
そんな感じ。
悲しいんじゃなくて、さみしい。
話せないのが、さみしい。
思い出はいっぱいあるからいいけど、話せないのがさみしい。
今年の1月からあれだけ喋ったが、まだ話せることはいっぱいある。
いつもみっともない私の承認欲求(自慢とか)をぶつけても、ちゃんと拾ってくれた。
あー、さみしいな。話せないのがね。
75歳でしょ。
息子の立場として、それは早すぎるよ。
父親の立場として、それでいなくなりたくはない。
できるだけ健康に、長生きしたいと思った。
以前は太く短くとか、格好つけていたけど、細く長生きしたい。
だって、話したい人と、話せなくなっちゃうから。
でも、長生きしたとしても、もう折り返し地点は回っているだろう。
母が闘病に入り、亡くなり、それが私のいろんなきっかけとなった。
私は私で抱えている課題もあって、今はそれに向き合っている。
それにまず対応するが、ただ、もう同じようには生きない。
これまでと同じようにはね。
人生はとっくに後半戦。
積み上げたものを、棚卸して身軽になる。
ありがとう。
先月の母の四十九日の日の一枚。快晴で、穏やかな海だった