なあ、悠詩
昔の音楽を色々と聴いていた。
小学から大学、社会人まで。
それらの音楽を背景に色々な思い出がある。
そして今がある。
どうも中学の時が様々な意味で分岐点だった気がする。
引越しで大きく環境が変わったことが大きかったかもしれない。
それが良いとか悪いとかではない。
小学は純粋な古き良き思い出。
高校はわりとぼやけている。
大学は甘酸っぱくも必要な試行錯誤だったと思える。
中学は今の自分のベースが形成された時期のような気がする。
この時期に培われた大事なものがある。
一方、自分自身のより内側を見るようになりつつもあった。
ただ、前者が後者を引き起こし、後者が前者を支えた。
互いに補完している。
それが高校という移行期を経て、大学という試行錯誤を経て社会に出た。
そこからは、わりと刺激的な日常を過してきた。
理想には遠いが、それまでの想いとのズレはさほどなく歩んできた。
何よりも大切なものにもめぐり合えた。
しかし、ここ二年程度、以前のバランスを崩しつつある。
幸いにも克服したが大きな病気の後のことである。
それまで相互補完していたものが、後者の色合いが強くなっている。
病気を機に流れが変わったからだろう。
外側で演じなければならない部分が増え、本当の自分との差に苦悩する。
そんな日々だったし、今もまだまだその過程にあるといえる。
家庭にも迷惑をかけ、遠くの家族にも不義理をかけるようになった。
もちろんこういう状況で気づいたもの、得たものも少なからずある。
すべて必然だったことはこれまでも書いてきた通り、良くわかっている。
前回の手紙の終わりに書いたように、今も、これからも。
いずれもっと整理して書きたい。
自分を書き留め、振り返り、歩んでいくために。
そして、オマエサンの道程の参考にもなればと。
昔の音楽を聴くと、今は中学時代のことを思い出すことが多い。
それが中学時代以外の音楽であっても、そこに繋がるか立ち返っていく。
今はそういうことなのだ。
音楽は心のアルバム。
過去、現在、未来、様々なページを創り出す。
それらが交錯し、色彩も変化し、思い出したり、気づいたりする。
だから素晴らしいのだ。
どんな状況の中にあっても音楽自体は色あせない。
そして、自分自身の輪郭を浮き立たせてくれる。
その時、その時の自分自身を。
ありがとう。
from オトウサン
—悠詩(4歳) with 父(36歳) and 母—