「昔の音楽、そして自分」・:*:・゚☆ たくましき君へ

なあ、悠詩

昔の音楽を色々と聴いていた。
小学から大学、社会人まで。

それらの音楽を背景に色々な思い出がある。
そして今がある。

どうも中学の時が様々な意味で分岐点だった気がする。
引越しで大きく環境が変わったことが大きかったかもしれない。
それが良いとか悪いとかではない。

小学は純粋な古き良き思い出。
高校はわりとぼやけている。
大学は甘酸っぱくも必要な試行錯誤だったと思える。

中学は今の自分のベースが形成された時期のような気がする。
この時期に培われた大事なものがある。

一方、自分自身のより内側を見るようになりつつもあった。
ただ、前者が後者を引き起こし、後者が前者を支えた。
互いに補完している。

それが高校という移行期を経て、大学という試行錯誤を経て社会に出た。
そこからは、わりと刺激的な日常を過してきた。

理想には遠いが、それまでの想いとのズレはさほどなく歩んできた。
何よりも大切なものにもめぐり合えた。

しかし、ここ二年程度、以前のバランスを崩しつつある。
幸いにも克服したが大きな病気の後のことである。

それまで相互補完していたものが、後者の色合いが強くなっている。
病気を機に流れが変わったからだろう。

外側で演じなければならない部分が増え、本当の自分との差に苦悩する。
そんな日々だったし、今もまだまだその過程にあるといえる。

家庭にも迷惑をかけ、遠くの家族にも不義理をかけるようになった。
もちろんこういう状況で気づいたもの、得たものも少なからずある。

すべて必然だったことはこれまでも書いてきた通り、良くわかっている。
前回の手紙の終わりに書いたように、今も、これからも。

いずれもっと整理して書きたい。
自分を書き留め、振り返り、歩んでいくために。
そして、オマエサンの道程の参考にもなればと。

昔の音楽を聴くと、今は中学時代のことを思い出すことが多い。
それが中学時代以外の音楽であっても、そこに繋がるか立ち返っていく。

今はそういうことなのだ。

音楽は心のアルバム。
過去、現在、未来、様々なページを創り出す。
それらが交錯し、色彩も変化し、思い出したり、気づいたりする。
だから素晴らしいのだ。

どんな状況の中にあっても音楽自体は色あせない。
そして、自分自身の輪郭を浮き立たせてくれる。
その時、その時の自分自身を。

ありがとう。

from オトウサン
—悠詩(4歳) with 父(36歳) and 母—

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