「やり甲斐という不確かなもの」~置手紙~

なあ、オマエサン。
人と多く会う仕事なので、悩んでいる人にも出会う。
採用も担当しているので、面接者の話もよく聞く。
「やり甲斐」と言えば聞こえはいい。
しかしながら、それは不確かで脆い側面もあるよね。
私はもう仕事は生活の軸でしかないと割り切っている。
個人のやり甲斐や自己実現をそこに求めていない。
今は日中ビジネスの経験と知識を切り売りして食べているだけだ。
もちろん、生活の軸なので真剣にやる。
結果として日中のブリッジになれた場合は純粋に嬉しい。
これまで色々環境を変えたり、挑戦も頓挫してここにいる。
仕事や会社というものは事前にリスクは完全に把握出来ない。
そんな不確かなものにやり甲斐をぶつけると、こんなはずじゃなかったのにとなりやすい。
明確な答えは私の中にもない。
私もまだ未熟者だからだ。
だけど、やり甲斐や自己実現が人や環境に依存するものであれば、当然、苦しむし悩む。
それを突破するのもまた人生。
私はそれをやめた。
放棄したと言われても仕方がない。
だけど、そんなスタンスでも仕事から得るものもある。
歳を重ねて少し肩の力が抜けたといった感じか。
ありがとう。
ずいぶんと久しぶりにリンゴ飴食べたぞよ。

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