「水底に足をつけて思ったこと」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

年末のコロナ感染で、それまでのペースががくっと崩れた。

でも、それで良かったのかもしれない。
少し息継ぎがうまく出来ていない状態が続いていた感覚。

そのまま一気に泳ぎ切ってもよかったし、それをどこか望んでもいた。
だけど、結果的にだが、私は水底に立ってしまった。ぶはっと。

なんかね、せわしなくしていた割には散漫としていたようだ。

今もなお、心身にどこか脱力感が残っている。
冷静というか、どこか醒めている自分もいる。
結局は、目の前の様々な状況に引きずられていたのではないかと。

とはいえ、物事は動いていく。今も。
そう、日々、私の意思や意図とは別に。

どう噛みあわせていくか。
それは外側にではなく、自分の内側との折り合い。

人生も後半だから、取捨選択も必要だ。
積み上げる前半はもう終わった。

わかっていることだが、考え方が不器用なんだよ。
それなのにあれこれ考えて、しんどくなる。
無理やり理屈で自分自身を押し切ろうとしてしまう。
そして息継ぎせずに、勢いで乗り切ろうとする。

繰り返しだが、もう人生は後半だ。
自分の負の部分も知っているが、温めたい部分もあるよ。

だからもう、ここからは「シンプルな価値観」と「コンパクトな関わり」が良い。

意図せずとも、こうして立ち止まったのなら、そこからならではの歩み方をすればいい。
そうだね。はい、そうしますよ。

あと、そうだ。
コロナ感染の直前までよく行っていた頻繁なサウナ活動も小休止。
もう行かないわけではない。
元々は手段でしかなかったものが、気がつけば目的になってしまった。
日々自分がクリアになれると、意地を張っていたかのように没頭していた。
好んでいた行為もこうして義務的になると、面白くないし、しんどくなる。
だから、サウナも本来のリラクゼーションの為の手段に戻そう。

こうして未だに私は物ごとに対する「目的」と「手段」を混同しがちだ。
自分が関わる様々なことに対して。
置き違えたり、置き換わったりすると、落胆や挫折に繋がりやすい。

でもね、それを落ち着いて確認していければ、より力強く歩めるだろう。
こうして立ち止まって確かめてみてもいい。

まだまだ、これからだ。
後半だからこそ、これからだ。
そう信じてみたい。

オマエサンは一人コロナにもかからず、一昨日は友達とディズニーランド。
私の高校時代より、笑顔が多く日々を過ごしている気がする。
良いことだ。できるだけピュアに物事に対峙して欲しい。

オマエサンは、積みあげる人生の前半ということだろう。
触れてみないとわからない物事や人、関係性もたくさんある。
あまり早く自分を総括したり、決めつける必要はない。

繰り返しだが、できるだけピュアに物事に触れて感じてもらいたい。
それがいつか、自分を総括する際の糧になるだろう。

青春は回り道。

ありがとう。

オマエサンがディズニーランドで買った被り物を借りた(うふ)
オマエサンからのお土産
そしてオマエサンに奪い返された
スナネズミ(カラージャービル)のクリさんのお家のお掃除をした

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