「総括:予定外だけど、それも人生」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

オマエサンも知っての通り、コロナ感染した。
オマエサンは陰性。でも自宅待機に。

これは私にとってイレギュラーだった。
世相を考えれば、いつなってもおかしくなかったが、このタイミングは予定外だった。

結果、年末年始はおとなしく自宅で過ごすことに。

本当は早めにオマエサンと私の田舎の島根に行くはずだった。
オマエサンも久しぶりなので、楽しみにしていた。
私も両親の元にオマエサンを連れて行きたかった。
そして、私も島根の海を見てリフレッシュしたかった。
自分の中で、間違ってはいないと思うものの、どこか引っかかる部分もあったので。
それを溶かしにいきたかった。

全部ぱー。

流石に落ち込んでいた。
今も多少落ち込んでいるが。

まず、これはもう仕方がない。
だが、思い返せば反省点もある。
そして、関わる人全てに申し訳ない(特に家族)。

※下記は、自分にしかわからないように書く、今年最後のセルフメモ。

—(セルフメモここから)—
今回のことを通して思ったのは、やっぱり〇〇は〇〇だ。
これはもう、アウトボックスでやり過ごすものでしかない。
向き合うことが、距離が近いことが、美徳ではない。
精神論ではなく、コンディションと適正(性格)は重要だ。
常に何が自分にとって大事か、優先したいかを決して忘れることなかれ。
—(セルフメモここまで)—

年が変わっても、自分の外部環境は何も変わらない。
もし、おみくじで大吉が出ても、それら環境は意のままに好転などしない。

だけど、自分の価値観やスタンスは磨いていけるだろう。
顔や性格は変わらないが、物事に相対する感性、感覚は変えていける。
個々の、今に至る経緯であったり、経験という「糧」によって舵取りが出来る。

勿論、気が緩むと、受け身になってしまい、流され、ダイレクトに傷ついて、沈没する。
だから、様々な物事について、どういう価値観で、どう捉えるかはとても重要だ。
これは神社にお参りして身につくものでもなく、普段の些細なことから意識するしかない。
それが自然に、呼吸をするかのように出来るまで。

他人や不特定多数の価値観という曖昧なものに軸を置くと、しんどくなるだけ。
それらは無責任かつ、曖昧過ぎて掴めず、溺れてしまう。

我がままとかそういうことではない。
当たり前だが、脳みその数だけ、我々は異なる存在だ。
偶然にして重なる部分があれば、実に幸運であるが、そこに固執し、決して押し付けたり執着することなかれ。

生き方にマニュアルはない。こうだという「形」に依存することなかれ。
だが、指針や価値観、スタンスはあるし、それを磨いていくことは、結構、心地良いことだ。

あらためて、カアサン、オマエサン、両親。
申し訳ございませんでした。

青春は回り道。

ありがとう。

陽性となった検体
先週末のささやかなクリスマス
オマエサンも自宅待機に(ごめんなさい)

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