なあ、悠詩
治療と療養に入るために、自ら立ち上げた会社を託した人と会った。
彼は立場上、部下ではあったが、友人であり同志であった。
ゆっくり二人で話をするのは私が会社を離れて以来、はじめてだ。
仮解禁されたお酒をちびちびと呑みながらゆっくりと。
私は薄情な人間だ。
彼の相談にのったり、フォローできることがあればすべきだった。
でなくとも、「どうですか?」と気にかけるべきであった。
それができなかった。
会社から身を引いたのは客観的にはやむを得ない事情であった。
病気をずるずると放っておくと面倒なことになることは明白だった。
また、新たに子供も背負った以上、早めに手を打つ責任もある。
だが、主観的には投げ出したという気持ちが強かった。
だから、何も言えなかったし、聞けなかった。
それは誰に対してもそうだが、特に彼に対してそうだった。
まったくもって薄情かつ、自分勝手である。
その前提として強い治療で気持ちに余裕がなかったこともある。
だが、その治療も先月で一区切りした。
副作用も激減し、体調も安定している。
そして先日の世界一周旅行で気分転換もできた。
そう、心身ともにリフレッシュした感覚だ。
ここ何年間でいちばん軽快な気さえする。
実際、体重は一番軽いのだが。
まるですっかり治ったかのような錯覚に陥りそうだ。
そして今日、ようやく彼とゆっくりと話ができた。
彼自身、苦労はしているはずだが元気そうだし、前向きだ。
会社は他の会社との合併を経て、彼は本来の分野に専念している。
もはや別の方が全体の責任を負っている。
正直、私としてはほっとした。
彼に無理やり押し付けたようなものだったから。
また、皆も頑張っているとのこと。
それはよかった、本当に。
もちろん、それそれで苦悩もあるだろうが。
会社の形は変わったが、たくましく生まれ変わったのだろう。
形を変えながらもベースとして繋がっていっていると思いたい。
「創造」したものが「次」の形として。
もう、そろそろふっきることにした。
後ろめたさを感じることも、自分の中で遠ざけることもやめた。
ここからまた前に歩むために。
色々とあった2007年だった。
関わったすべての人に、ありがとう。
【小説「源平咲き」124,539文字(原稿用紙312枚目)推敲中】
from オトウサン
-悠詩(1歳3ヶ月) with 父(33歳) and 母-