・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「春、桜の季節に」

もともとそうだがトウサマは器用ではない。

特に昔から人に説明したり伝えるのがヘタクソだ。多勢であるほど。
言葉足らずになったり、逆にくどくなりすぎる傾向がある。
しかもアドリブがきかない。
これは自分でよくわかっていることだが昔からなかなか克服できない。
不器用でも真意が伝わればいいと開き直りたいが、立場上、それでは誤解も生みうる。

コミュニケーションはそれとは別だ。
立場など意識せずに自分の言葉と感覚で特定の相手の目を見て話せば良い。
その場合、実は言葉でなく心で会話しているのだろう。
だから言葉が足りなくともその意味を汲み取れのだろう。
ただ、そうできるのは距離や感覚のバランスが結果的にかみ合う人とであり誰とでもいうわけではない。
また、基本的には個人に対するのもであり多勢に対するものでもない。

日々、色々な事を通して自分をさらけ出してしまい、自分というものを実感する。
情けない自分、惨めな自分、楽しい自分、嬉しい自分。
様々な機会を通して様々な自分に出会う。
他人に見せたくない自分も思わずさらけ出てしまう。見られてしまう。

ただ、自分の外側のことすべてを気にし大事にしようとするればするほど自分の内側で大事にしているものを見失ってしまいそうだ。
まだそんなにうまくバランスをとれるほど人生を歩んでいない。

そしてまた桜の季節である。
時の流れを感じながら私は何を大事にしていきたいのかを今一度考えてみるのだ。

そう、すべてを大事にすることはできない。
何事も完璧にはできない。
すべての事や人に受け入れられようとする苦難を乗り切れられるほどまだ人生を歩んでいない。

だけど

そう、人はいつだって何度でも始めることができる。
同じ事であっても心のフィルターを掃除して新たに始められるのだ。
自分自身という人間は変われなくたって、変わりゆく季節や風景を感じながら今すぐに何度でも始められるのだ。

桜の季節、心のフィルターを掃除してみよう。
社会に揉まれていつのまにかこびりついたちっぽけな意地や自負を全部解き放て。
そして多くの物事をより純粋に吸収し、大切にしているものを育もう。

春、桜の季節に

心模様は桜模様。
本当はいつだって華やかに咲いていたいよね。

from オトウサン

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