なあ、悠詩
キーワードはリセット。
私の生活は四月から激変した。
それまでの関わりとは意図的に距離を置いている。
もはやそれはそれでどんどん変化していっている。
気になるけど聞きたくもないという微妙な感じだ。
思い入れもあればうしろめたさもあるから。
もともと個人的に抱えるやむ得ない事情であった。
だが様々な面でそうすべきタイミングでもあった。
色々考え込んでいたし迷惑もかけていた。
自分に甘かったし冷徹になれなかった。
そう、未熟だった。
しかし未熟者には贅沢で貴重な経験だった。
あと1潤オ2年遅かったらそれは無かっただろう。
それもまたタイミングだったのだ。
だから受け入れた。
物事、正しいか正しくないかはあまり意味がない。
人は自分とは同じように考えないものだ。
加え、正しさはひとつでなく無数である。
そんな不確かなものに適応するのはしんどい。
正しさとはその場凌ぎで限定的なものに過ぎない。
だが投げやりになったり悲観することは何もない。
人生はどのように受け入れるかがすべてなのだから。
大切なものにとっての糧と考えられるかどうかだ。
ここでは正しい正しくないということは意味をなさない。
もちろん同じ状況でも受け入れ方は人それぞれだ。
何を大切にしているかは人それぞれだから。
それまで積んできた糧によっても異なるだろう。
だから誤解やすれ違いがあるのは当然ともいえる。
それもまた受け入れるべきだ。
私なりの受け入れ方をしてはや三ヶ月弱。
物理的にもおもいきってけじめをつけた。
とっておいた物も必要最低限以外、一掃した。
仕事のものや個人的なものすべてが対象だ。
特に前者はほぼ何もなくなった。
気分的にもさっぱりした。
すべてリセットだ。
だが決して何も終わったのではない。
本当に大事なものは糧となって内面に残っている。
そう、それをベースにまた新しく始まるのだ。
形を変えながら続いていくのだ。
変化のタイミングはいろんな形でやってくる。
意図しない形でも容赦なくやってくる。
そんな時は流れに抗わず受け入れよう。
大切にしたいものがある限り必然=糧なのだろう。
オマエサン、ずいぶんワンコがお気に入りね。
from オトウサン
—悠詩(0歳9ヶ月) with 父(32歳) and 母—