「東京男子図鑑と高尾山」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

昨日からAmazonで東京男子図鑑を一気見した。
以前、上海女子図鑑と北京女子図鑑を見た。

私は山口で生まれ、山口と島根で育った。
そして最終的には東京に出てきた。

東京タワーに象徴される街で人生が展開することを期待していた。
そこにいるだけで物事がうまく進んでいくのではないかと。

そして人生の後半戦に入った。
結論から言うと、そうはならなかった。全くならなかった。

勿論、今を否定しているのではない。

ああなりたい、こうなりたい。
そういう想いはあった。
自己顕示欲も承認欲求もバリバリにあったし、今だってそれなりにある。
格好つけたいし、背伸びもしたい、キラキラしたかったなぁ。

だけど、振り返ってみれば、想いに対して、さほど突き抜ける努力もしてこなかった。
壁に当たると自分の中に理由を作り、周囲に押し付けた。

それを悔いているわけでもない。
というか、悔いた所で、私はもうここで後半戦を生きているのだ。

でもね、ようやく整ったというか定まった感触を得た。

関係性や物事に対して、大胆に割り切るべきということを覚えた。
それは、距離や領域というものかと思うが、言葉で完全説明はちと難しいかな。

敢えて言えば、単純に大切なものの優先順位を整えただけ。
人生や経験、関わりの棚卸といったところか。

こうなると、後半戦ではあるが、むしろ余白が出てきた感覚。
余裕ではなく、余白。

とにもかくにも東京はあらゆる機会は多いのは確かだ。
だけど、その分、切なさや虚しさを抱える場所であることも知った。
そうして、ようやく東京で(今更)地に足がついた感覚を得た。
勿論、それは歓迎すべき状況だ。

ああ、東京砂漠。時々、オアシス。

青春は回り道。

ありがとう。

高尾山に祈りを込めて
秋葉原、これもまた東京

この記事を書いた人

最新のブログ記事