「腰痛と運用3.0」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

先日の博多帰りから腰痛が激しい。
ずっと座っている状態から、まっすぐ立とうとすると激痛。
かがんで物を取ろうとすると激痛。

今日の土曜日は、月一回の無呼吸症候群の通院だった。
整形外科もあるので、腰痛の薬も出してもらう。

そして今はスーパー銭湯。
湯につかっていると、血行が良くなるのか、痛みが和らぐ。
嗚呼、、、サウナ後の水風呂、外気浴は素敵ぞよ。
日光に包まれ、青空の元、裸体に風を浴びるのは素敵。
だらしない体を投げ出して横になっていると、色んなことに合点がいくぞ。

「目的」と「手段」が混同すると、リズムがおかしくなり、しんどくなる。
本来、手段でしかなかったものが、目的になってしまうことだ。

身近なものでいえば、スマホ、インターネット。
それは単なる手段、でもとても効率的で素晴らしい手段。
だが、気が付けば、それに魂を引っ張られてはいないだろうか。

だらだらと、本来、全くもってどうでもいいような情報や動画を見てしまう。
ニュースポータルも、恐ろしいぐらい暗い話題ばかり。
いつの間にか、効率的で便利だったはずの手段が、目的に変容してしまう。
無駄に時間を消費する。

これではしんどくなる。

そして、公私ともに区切りがつきにくい情報機器。
電車、飛行機、トイレ、カフェ、食事中、寝起き、寝る前、どこでも使えてしまう。
いつの間にか、「慣れ」から「麻痺」に変わり、振り回されて、浸食されていく。

これではしんどくなる。

自分が疲れていたり、弱っていたり、追い詰められていると、人は外部に引きずられる。
自分の外側の人物や物事、関係性ありきで考え、一番大事な己を失う。
外側は自分の状態に関係なく、無自覚、無頓着、無邪気に、そう、好き勝手に、接してくる。

これではしんどくなる。

「過去」が変えられないように、自分の「外側」もまた変わらない。変えられない。
それに依存する生き方をしてしまうと、どんどん引きずられ、どんどんしんどくなってしまう。
そして疲れていると、無駄な情報や暗い話題に、どんどん引きずられるという悪循環。

ただね、自分がどう有りたいか、そして外側にどう接するかについては、自分で舵が切れる。
これが人生の本質ぞよ。
これは素晴らしいし、何があろうと救われる。

とにもかくにも、まずは腰痛を癒し、心身の疲れをサウナ風呂で癒すぞよ。
ずれてしまったら整える、そう、リセットボタンはいつでも押せるのだよ。

うだうだ考えても、一生懸命結論付けても、実は外側は何も変わらないし、好転もしない。
だから、大まかな自分像を持ち、大雑把に生きていけばいいだけだ。理屈ではない。

本日、8月27日、横縦真ん中という、運用3.0(これは自分だけへのメッセージ)。

そう、青春は回り道。

ありがとう。

貼って、液体飲んで、錠剤も飲んで、まずは対処療法
瓶の牛乳は美味しく感じる
炭酸氷を嗜む

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