なあ、悠詩
ここ一週間、あまり調子がよくなかった。
急に暑くなってきたせいだろうか。
体の節々や間接が痛む。
注射による発熱と体のだるさとミックスして気持ち悪い。
また、それ以上にしんどいのは無性にイライラするのだ。
私自身、イライラするほうではないのでこれは珍しい。
これも薬の副作用のようだ。
治療が二ヶ月が過ぎ副作用も次のステージ?となるようだ。
毛が抜けたりウツっぽくなる副作用は今のところ出ていない。
いずれにしても大人しくやり過ごすしかない。
最近、何人かの人がありがたく連絡をくれる。
暇つぶしにと気遣って仕事っぽい話も振ってくれたりする。
我侭であるが今は中途半端に物事に取り組みたくない。
応えられる自信もない。
また、何のしがらみもなくなり今や無力だという自覚もある。
何の付加価値もない状態になっているのだ。
会社や組織の後ろ盾があってこその自分であったのだ。
だから、今は最低限の関わりとさせてもらっている。
失礼は百も承知だし、この間にさらに失うものもあるだろう。
でも自分を卑下するつもりもない。
今の自分自身を把握する良い機会と考えている。
どこからどこまでが等身大の自分であるか整理できるのだ。
余分な賢さやちっぽけな見栄も身についているようだから。
物事の取り組みや人付き合いも打算的にもなりがちだった。
私はこの期間を決して無駄にはしない。
糧にするのだ。
反省はしても後悔はしない。
今、「沈まぬ太陽」を読んでいる。
会社でお世話になった人から入院中に頂いたものだ。
「白い巨塔」や「華麗なる一族」の山崎豊子の作品だ。
全五冊で前半の二冊目だがずっと左遷の話である。
自分が知らない世界を体感しているようにすらすら読める。
物語の数だけ人生を体感できるのだ。
現実を生きながら違う人生にも触れることができる。
そして自分の人生に影響を与える。
だから物語とは人生なのだ。
物語は小説、音楽、絵と様々な形で存在する。
触れるだけで素晴らしいし創り出せればもっと素晴らしい。
人生をより幅広く豊かにしてくれるだろう。
形を変えて続いていくのだ。
カーテンコールは鳴り止まない。
オマエサンの物語は始まったばかりだね。
オマエサンは私の物語そのものだ。
形を変えながらも続いて欲しい。
from オトウサン
—悠詩(0歳9ヶ月) with 父(32歳) and 母—