「等身大の自分、そして物語とは」・:*:・゚☆ 生まれたての君へ

なあ、悠詩

ここ一週間、あまり調子がよくなかった。
急に暑くなってきたせいだろうか。

体の節々や間接が痛む。
注射による発熱と体のだるさとミックスして気持ち悪い。
また、それ以上にしんどいのは無性にイライラするのだ。
私自身、イライラするほうではないのでこれは珍しい。

これも薬の副作用のようだ。
治療が二ヶ月が過ぎ副作用も次のステージ?となるようだ。
毛が抜けたりウツっぽくなる副作用は今のところ出ていない。

いずれにしても大人しくやり過ごすしかない。

最近、何人かの人がありがたく連絡をくれる。
暇つぶしにと気遣って仕事っぽい話も振ってくれたりする。
我侭であるが今は中途半端に物事に取り組みたくない。
応えられる自信もない。

また、何のしがらみもなくなり今や無力だという自覚もある。
何の付加価値もない状態になっているのだ。
会社や組織の後ろ盾があってこその自分であったのだ。

だから、今は最低限の関わりとさせてもらっている。
失礼は百も承知だし、この間にさらに失うものもあるだろう。

でも自分を卑下するつもりもない。
今の自分自身を把握する良い機会と考えている。
どこからどこまでが等身大の自分であるか整理できるのだ。
余分な賢さやちっぽけな見栄も身についているようだから。
物事の取り組みや人付き合いも打算的にもなりがちだった。

私はこの期間を決して無駄にはしない。
糧にするのだ。
反省はしても後悔はしない。

今、「沈まぬ太陽」を読んでいる。
会社でお世話になった人から入院中に頂いたものだ。
「白い巨塔」や「華麗なる一族」の山崎豊子の作品だ。
全五冊で前半の二冊目だがずっと左遷の話である。
自分が知らない世界を体感しているようにすらすら読める。

物語の数だけ人生を体感できるのだ。
現実を生きながら違う人生にも触れることができる。
そして自分の人生に影響を与える。

だから物語とは人生なのだ。
物語は小説、音楽、絵と様々な形で存在する。
触れるだけで素晴らしいし創り出せればもっと素晴らしい。
人生をより幅広く豊かにしてくれるだろう。
形を変えて続いていくのだ。

カーテンコールは鳴り止まない。

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オマエサンの物語は始まったばかりだね。
オマエサンは私の物語そのものだ。
形を変えながらも続いて欲しい。

from オトウサン
悠詩(0歳9ヶ月) with 父(32歳) and 母—

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