「欲を無くせば幸運と思える」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。
今の会社は来年で6年目となる。
この会社においては途中で方針転換した。
それまでの繋がりを仕事上は絶った(能動的にという意味で)。
世の中には「人脈」という不確かなものが重要視される傾向もある。
だが、私個人としては人脈とは互いの社会的所属・役割に依存しない関係かと。
名刺交換を沢山して、それを人脈というのはあまりにむなしい。
私の社会人の始まりはプロフィールの通り、「バンプレスト」である。
そしてたまたまそのエンタメと制作という軸でシフトしたのが「インデックス」。
そこではi-modeの発展期で会社がどんどん大きくなるのを目にしてきた。
私もまたインデックス社で中国の仕事へとどんどんシフトしていくことになる。
そして今の会社においては、最初はそれまでいた会社の繋がりを活用しようとした。
しかし、どうしてもビジネスに過去の繋がりを活用することに抵抗感も出てきた。
1.うまくいかなければ、その繋がりも終わってしまう。
2.うまくいかない場合(門前払いの場合)、その程度の繋がりだったとむなしくなる。
特に後者に対して恐れがあった。
それは美化しがちな過去の繋がりの崩壊だ。
それからは、基本的には全く新規層、新規業界へのアプローチに方針転換。
そして、自らの開拓力はたかが知れているので、開拓してくれるパートナーとの関係構築に力を入れた。
直接な開拓をしつつ、有力なパートナーとの関係構築には二年近くかかったかもしれない。
全くもって結果論だが、それからの二年間で明らかに提案の機会が増え、結果にも繋がっている。
そこで今回の置手紙のタイトルである。
昔の繋がりで強引に仕事をもらおうと考えた場合、結果として失う場合も多いということだ。
もちろんそこから生まれるものも多々あるだろう。
でもね、結果的に遠回りしたものの、本来、多くの可能性を秘めている過去の会社や業界と今になって繋がってきた。
巡り巡って繋がったので、失敗や反省という蓄積したものを活用できる状況にもある。
幸運だ。
それは全く持って結果論だ。
そこに展望やビジョンはない。
卑下しているのではない。
執着というものを脱ぎ捨てて身軽になってから「気づいたもの」と「築いたもの」がある。
期待もしてなかったので、純粋に幸運を幸運に思えることこそ、まさに「幸運」。
決して正しさをアピールしているのではない。
こういうケースもあるということ。
ただそれだけだ。
ありがとう。

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