なあ、悠詩
暑かった。
病院への往復だけで溶けそうだった。
前回の手紙で断片的だが過去を少し振り返ってみた。
http://milky01.blog50.fc2.com/blog-entry-379.html
少し補足しつつ広げてみよう。
あの頃は懐かしい思い出深いが、戻りたくはない。
今の記憶のままやり直したいかと問われてもそう思わない。
終わったことはもう終わりでいい。
なぜならもう終わっているからだ。
未練も後悔もあるがもう終わったことだ。
あれからそれなりに楽しんで苦しんで今ここにいる。
自分の中での積み重なり、糧というものを実感できる。
もちろんその時その時はそんなことを考える余裕はない。
考えたとしてもほとんどが思い込みだったりする。
こうして振り返ってみてはじめて気づくのだ。
だからそれを元にして前に歩きたいのだ。
その本質は何か?
ありふれた日常の中で何を大切にして生きるかということだ。
成功や評価は相対的で表面的なものであり結果論でもある。
そのために生きようとはもう思わない。
この順番が逆になると本当にしんどい。
だがそういう時期はあってよかった。
このことに気づくきっかけにでもあったから。
ささやかかつ平凡な日常における大切なもの。
私にとってはふたつある。
まずは家族とささやかな日常を楽しむこと。
カアサンとオマエサンと穏やかに過ごせるのが一番だ。
もうひとつは物語を綴ること。
大切なのはその評価ではなく行為そのものである。
それは音楽でも文章でも絵でもいい。根本は同じだ。
音楽では自己満足レベルであるが少しだけ堪能できた。
今は文章に興味がある。
物事はうまくいくときとうまくいかないときがある。
時間がかからないときもあればかかるときもある。
楽しいときもあれば苦しいときもある。
だが、それらは本質ではない。
それらを超越して大切にできるものがあれば十分なのだ。
そう、だから焦る必要はないのだ。
立派な夢や目標はいらない。
等身大の大切なものを守り抜くことが本質だ。
そういう意味では病気のハンデはあるものの私は幸せだ。
ささやかだがふたつもあるのだ。
病気によって気づけたのでむしろ感謝している。
身のまわりにちりばめられている幸せを大切にしよう。
髪の毛が逆立ったオマエサン。
今日はウルフヘアーですか。永ちゃんかい?
でもね、整髪料はオマエサン自身の額の汗なんだよ。
【小説「源平咲き」28,988文字(原稿用紙73枚目)執筆中】
from オトウサン
—悠詩(0歳11ヶ月) with 父(33歳) and 母—