なあ、悠詩

振り返るシリーズの第二弾だ。
第一弾は下記。
http://milky01.blog50.fc2.com/blog-entry-364.html

病院のバスの中で浜崎あゆみの「SURREAL」を聴いていた。
特に彼女の曲を好んで聴くわけではないが思い出深いのだ。
そう、もう六年ぐらい前になるのかな。
社会人として三社目の会社に入ったばかりだった。

当時、深く考えず腰掛けのつもりで入った会社でもあった。
急成長していた業界だったが、正直、全く詳しくなかった。
甘く考えていた罰だろうか、いきなり怒涛の日々となった。
入社二日目には午前様だった。
周りのほとんどが当たり前に仕事していて帰りづらかった。
加え、前任者もいなければマニュアルなども一切なかった。
引き継ぐのでなく立ち上げるのがミッションだと初めて知った。
スケジュールも既に決まっていてタイトであった。
そもそも何をすればいいのかを調べることから始まった。
腰掛けどころではない。
無論、この数年後に会社を立ち上げるなど夢にも思っていない。

この春に病気で離脱するまで六年ほどいた会社(グループ)だ。
その間、本気で辞めようと思ったことは二度あった。
一度目はその入社二日目であった(二度目はまたの機会に)。

しかし、すぐにそのペースに巻き込まれてしまった。
それどころか数日後からは自分が率先する始末であった。
慣れとは恐ろしい。
すっかり麻痺してしまった。

肉体的にはきつかったが、やることはシンプルだった。
だから踏ん張れたんだと思う。
忙しかったけどいま思えば気楽だった。
また、人数も少なくコミュニケーションがとりやすかった。
仕事も組織や役割でなく個々との信頼で成り立っていた。
それでなんとか乗り切っていた。
個性的な人も多かったが、それが楽しかったし刺激的だった。
もちろん苦手な人もいたけどさ。

それからどんどん人が増えてそんな状況も変わってった。
状況に流されるまま責任も増えていった。
だが、何の目標もキャリアビジョンもなかった。
全く見本もなく手探りだったし、やっつけでもあった。
だからこそ比較したりされることもなくやり易かったのかも。
ただ、建前も増えたし、誰にでもよい顔はできなくなった。
個々とのコミュニケーションも薄れてしまった。
なんとか乗り越えてきたけど得たものも失ったものもある。

話がそれた。
このへんはまた別の機会に振り返ろう。

「SURREAL」は六年前によく聴いていたということだ。
聴きたくなくても仕事の都合上、聴かざるを得なかった。
だけど今は当時の自分と会えるような気がして聴きたくなる。

【小説「源平咲き」27,200文字(原稿用紙68枚目)執筆中】

from オトウサン
悠詩(0歳11ヶ月) with 父(33歳) and 母—

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