「穏やかにありたい」~置手紙~

なあ、オマエサン。
出来るだけ穏やかでありたいものだ。
喜怒哀楽は人間だから当然だ。
しかしながら「怒」については関係性による。
もちろん抱えるのは当たり前。
表情に出たり、押し殺そうとするのもまた人間である。
むしろそれぐらいが人間らしくて良いとも言える。
しかしながら「怒」をダイレクトに投げつけるのも投げつけられるのもしんどい。
徒弟関係や師弟関係は別だ。
家族関係も別だ。
ただ、単なる仕事の関係で投げつけられると、理屈で割り切ろうとしてもしんどい。
もちろん性格もあるだろう。
しかしながら、社会での関係という不安定な関係においては、やはり年代や世代、性別、立場を越えてどこか互いに尊重されないと、人は反抗するか諦める。
私自身のことだけを言っているのではない。
ちょっとした「怒」も積み重なれば嫌になる。
それで人材流出、機会損失しているケースも多々見てきた。
よく「敢えて怒る」と言うことも耳にする。
しかし、本当にそうであるか、単に自分だけに根差すものかどうかはぶつけられるとすぐわかる。
歳を重ねて多くの「怒」を社内外問わずぶつけられてきて分かってきたというのが正確か。
私はよく「何で言い返さないの?」と言われる(苦笑)
ヘタレに見えるのだろう。
実際、口喧嘩も弱いのです。
他人の考え方は変えられない。なかなか。
自分の受け止め方の習慣を工夫するだけだ。
完璧は全く無理だが、出来るだけ穏やかでありたいものだ。
オマエサンの笑顔のように。
ありがとう。

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