「入院中に自分を整理」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

入院中は暇だ。

前回もそうだが、自らを振り返る機会に自然となったのだ。

■仕事■

あくまでも食べて行くための手段。
家族と共に(ごんたさん含め)。
それ以上でもそれ以下でもない。

「やりたいこと」を求めず「やれること」を淡々とするだけ。
つまり自己実現とかやり甲斐を求めない。
期待したり依存するから振り回されるし、裏切られると感じる。
ただし、結果的に生まれるものは決して否定しない。

■家族■

仕事より圧倒的に大切。
私の心の拠り所。源泉。
それを成立させるために仕事をする。

■創作(趣味)■

家族の次に大切なもの。

昔は仕事と重ねようとしたが、完全に切り離す。
昔は音楽作品を残したいと思ったが、今は物語を文章で書きたい。
まずは自己満足だが、結果的に共有範囲が広がれば言うことなし。

人生の大きな三つの柱(■)は上記の通り。

己に未熟さは感じるものの、完全は当然無理と開き直る。
それを目指すのもしんどいし、時間が勿体無い。

その他にも以下の通り、少々。

<1. 自己承認欲(自己顕示欲)はある>

もう昔ほどではないが、特に外部に対して良い顔したり自慢したり見栄を張りたい自分はいる。
人と生きている以上、人と比べる感覚が生まれるのも当然だ。
だけどそれを言動に出すかどうかはそれなりに調整したい。

<2. オマエサン(息子)は大好きだが>

だからと言って子供が単純に好きという訳ではない。
幼い子がうるさかったり、泣き叫んでいるとイライラする。
それを放棄している親にはもっとイライラする。

小学校の教員免許を持っているが、教員にならなくて正解か。

<3. 父親像が変わった>

これは自分の父に対するものではなく、オマエサンにとっての父親像(私自身)のこと。
厳格で口数が少ない父親を考えていたが、無理。
オマエサンにもくだらないことばかり(下ネタ含め)いう方が楽しいし。
カアサンにもオマエサンと一緒に叱られまくり。
以前は威厳を出すために、オマエサンの前で私に酷く言ってもらいたくなかったが、今はもう気にならない。

<5. 田舎(島根)の両親>

これは変わっていない。
精神的にも物理的にも親孝行してきた感覚は全く無い。
オマエサンを世の中に送り込むことだと今は自分に言い聞かせているだけ。
ただしこれは課題だ。

こういった感じで、ベッドの上で己を振り返りつつ整理。

最近は早寝早起きだし、身体も軽くなったし、生活習慣はだいぶ改善された。

歳を重ねて気づいたり整理できることもある。
だから常に自分の中に余白は持ちたい。
まだ知らない自分や価値観もあるだろうから。

さて、毎日毎日、カアサンとともに、オマエサンと生きるぞよ。

あ、ごんたさんもね。

ありがとう。

 

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