「オリンピックに思ふ」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

疲労が蓄積気味。

やることの量が大変というよりは、それらの種類が多すぎるというのが現状。

オリンピックをテレビやネットで見ている。
なんだか昔を思い出す。

小学校は剣道。
中学校は陸上(短距離)。
高校はボクシング

剣道はオリンピック種目にないものの、柔道の団体戦など見ていると気持ちが被る。

小学校時代と中学校時代が特にノスタルジック。
高校時代と大学時代はまた別の感覚。

山口で中学2年の一学期まで過ごし、夏休み、二学期から島根で過ごした。
がらりと環境が変わった。
転校当時は肩身が狭かったが、全く違う雰囲気にも慣れていった。

そうだね。当時はもっと考えることも感じることも言うこともシンプルだったな。
単純に若いから、経験に乏しいから当たり前かもしれないが。

今はどうだろう。
人を巻き込んだり説き伏せたりする日々の中で、自分の言動が荒っぽくなっている気がする。
やむ得ないことはある程度理解しつつも、私的領域ではそれを避けたい。麻痺したくない。

日々、理屈やテクニカルに物事を捌いていると、どこか自分が自分でない感覚に襲われる。
生きていくには仕方がないが、出来ればもっとシンプルに考え、シンプルに生きたいものだ。

オリンピックに触れながら、そんなことを思った。

しかし肉体的な疲労がとれにくい年ごろ。
昼過ぎにふらりと銭湯に行ってリフレッシュし、気休めに栄養ドリンクを飲む。
明日、ビタミン剤も買いますか。

私にとって「休み以外の時間」は「休みの時間」の為にあるのだ。逆ではない。
自分の中の優先順位は、それぞれの時間の長さや出来事によって左右されるものではない。
濁流に身を任せるのではなく、しっかりと舵を切ろう。そう、振り回されることなかれ。

青春は回り道。

ありがとう。

高いと効く気がする(そう思いたい)

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