「物語性のある音楽」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

合間、合間で物語をコツコツ書いている。

もちろん物語もどきであり、まずは自己満足が目的。
これまで、そういう物語もどきを二作書いてみた。
試しに公募に出してもまたが、箸にも棒にも掛からぬ状況。
その時は満足感あるが、時間がたって読み返してみると稚拙さが一目瞭然。

趣味でコンピューターミュージックを始めたのは大学生の時。
それが高じて、新卒ではゲーム会社でサウンド制作の仕事に就いた。
ただ、仕事で作らなければならない、人に認めてもらう前提だと苦しくなった。
好きな音楽制作が嫌になった時期もあった。
それもあって、別の仕事を選んで今に至る(全く関連性がなく、愕然とするが)。

今は文章で物語を作ってみることを自分の中で優先している。
それも世間に認めてもらう前提ではなく、もっと気楽に気ままに。
今は原稿用紙の時代ではないので、行ったり来たりできるので素晴らしい。
コンピューターミュージックもそうだった。音符をデジタルでいかようにも修正できる。

そういう意味では、音楽は「作りたい」ということを自発的に行った最初のもの。

昔の曲でわかりやすいものだと、以下の曲は物語性があって好き。

小泉今日子「連れてってファンタァジェン」
中山美穂「ただ泣きたくなるの」
中森明菜「難破船」

イントロからAメロ、Bメロでの変化、サビ、そして間奏、繰り返しから、エンディング。
この起伏が叙情的なもの、それは必然的にバラードになるが、まさしく物語の起承転結のようで好き。
音楽として良いだけではなく、自身の思い出と重ね合わせて物語として聞くことができる。

音楽のような物語。
物語のような音楽。

そういうものが好き。

一方、仕事で執筆する機会も増えてきた。
先日、北京オリンピックに関して寄稿したが、もうすぐ出るかな(雑誌)。
ただ、この仕事で書くことと、物語を書くことは、同じ書くと言っても、まったくの別物。
私が書きたいのは、あくまでも自己満足の物語だ。

青春は回り道。

ありがとう。

12月14日の結婚記念日にカアサンに贈ったJINくん

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