「誕生日と人生の棚卸」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

昨朝、オマエサンが七夕だと言った。
ああ、そうだった。私は彦星と織姫が出会って翌日に生まれた子供だった。
そういってネタにしていたことを思い出した。

年を重ねる日とはいえ、それだけで何かが変わるものではない。
また、変わらないとならないものでもない。

願わくば、いや自らの意志で、もっとシンプルに日々を過ごしていきたい。
ただ、それだけでいい。

関わる人、物、情報が増えるほど、それぞれの価値や意図の中で生きていくことになる。
それらは、尊重することはあっても、コントロール出来るものではない。
自分の中できちんと距離をおく、それでも割り切れない場合は、物理的に自分から遠ざかる。
スマホやインターネットだってそう。手段が目的になると、振り回されて疲れる。
そう、日々がぼやけてしまい、惰性になる。

一方、割り切るのではなく、寄り添いたい存在や物事がある。
やはり、尊重することはあっても、コントロール出来るものではないのは同じだ。
でも、ここは損得ではなく、押し付けるのでも、受け入れるのでもない。
ただ、それに触れていたいかどうか。
結果や目標を逆算して躍起になって今を歩むのではなく、今、触れたいものがある。
そして、これからも側にありたいと思うかどうか。
それは、ある。確実に私の中にある。

だから、人生の後半戦に入った今、もっとシンプルに割り切りたいし、寄り添いたい。
前半の関係性や考え方の棚卸を行いつつ、後半はどんどんシンプルに人生を歩みたい。

でもね、青春は回り道。

ありがとう。

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