なあ、悠詩
明日から12月。
昨日の置手紙でも書いたように今日で小さな節目となる。
少し気分を入れ替えて明日を歩んでいこう。
意識すべきこと。
やり過ごすべきこと。
開き直ればいいこと。
心がけましょうよ。
試行錯誤しながら
そして時には大胆な決断を。
すべては連続し、流転する。
無駄なものはなくすべてが必然であり、糧なのだ。
今日は昼前から夕方までひとりだった。
昼過ぎに出かけ、いくつか所要を済ませる。
夕方前にひとりでカラオケボックスに入る。
ひとりで入るのは決して珍しいことではない。
悶々としたり何かに煮詰まった時など、ふらりと入るのだ。
・大声が出せる。
・音痴でも恥ずかしくない。
・人前で歌うと恥ずかしい曲が堂々と歌える。
・自分の世界に浸れる。
これでまず、それなりにすっきりとする。
そんな単純なものでもないが、ひと言で言えばストレス解消だ。
しかし、そのためだけに行くのではない。
音楽というものの素晴らしさを再認識するのが最大の目的だ。
何も気にせず歌うことにより、最も深く触れることができる気がする。
その曲その曲の世界観、メッセージに。
そしてそれは、創作意欲を取り戻していくことに繋がってゆく。
つまり、日常の中でいつの間にか埋没しつつあるものを救い出せる。
そう、もうひとつの心の拠り所であるはずのものを(もうひとつは家庭)。
どんなにちっぽけでもいい。
ひとりよがりでもいい。
やっぱり何かを生み出し、それが連鎖していくことに憧れる。
もはや音楽でなくてもいい。
社会復帰の際、それまで携わった制作から敢えて離れた。
好きで始めた(音楽)制作に刺激を感じなくなっていたからだ。
仕事の制作と個人的な制作の線引きもできなくなっていた。
未熟だったし、そもそもそれだけの器でなかったからだろう。
だからこそもう一度、真っ白な状況で向き合うことを選んだ。
創りたいという気持ちを取り戻すために。
しかし、目の前の状況に麻痺して創作を失うのは本末転倒だ。
ずいぶん大げさだがそんな機会なのだ。
私にとってひとりで歌うということは。
もうすっかり日常化したこの街の風景。
上京してもう十数年、まさに東京砂漠である。
オアシスは自分で探すか作り出すしかないのだ。
夕方の散歩途中でのオマエサン。
頭を撫でると踊るペンギン人形に大喜び。
今月の石原さとみカレンダー。
と思いきや、11月と12月の二ヶ月分のカレンダーだった。
今月頭にめくり忘れていることが余裕のなさを物語っている。
本日買った小さな画用紙と自由帳。
このTRAVELER’S notebookというブランド名、いい響きだ。
そして先日買ったPCに絵を描くタブレット。
これから何かが生まれるといいな。
from オトウサン
—悠詩(2歳2ヶ月) with 父(34歳) and 母—