「ナマコとセロリと顔パック」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

桜が終わる時期だ。
何事も終わりが有れば、また始まりも有るということ。

オマエサンは4月から高校生活が始まったばかり。
早速、新しい人や関わりとの遭遇。

昨日の土曜日、早速、新しい友達と遊びに出かけたね。
家でのオンラインゲームも高校の新しい友達としている。
良いことだ。

基本的に人や物事を通して自分が定まっていくのだと思っている。
それは安易に人と比べるとか勝つとかでは全くない。

新たな環境にて、多種多様な自他の喜怒哀楽にまみれていくことだろう。
残念ながら、他者のそれは根本的にコントロール出来ないものだ。
コントロールしようとすればするほど、しんどくなる。
そんな中で、自分自身というものについては、その舵取りすることによって社会に慣れていく。
そうすると、自分が寄り添いたいものと、割り切るべきものが見えてくるだろう。
それが新たな環境における、本質的な「学び」というものではないかと思う。

それは私も同じだ。
そう思えるようになったのも、割と最近だ。
だいぶ回り道した気もするが、人生の折り返し地点付近で気づいて良かったとも思う。

寄り添うこととは、押し付けることではない。
勿論、執着するものでも、一方的に期待するものでも、ましてや依存するものでもない。
ただただ、それを大切にしたいか、その側にいたいと思うかということだ。

思春期らしくニキビ等が気になって顔パックするオマエサン。
ナマコとセロリが好きな私。

何か無理に秀でる必要はないよ。
何か与えてくれる必要もないよ。
ただただ、そこに存在してくれるだけでいい。

青春は回り道。

ありがとう。

ごはんは食べにくいだろうに
最近はこういうものが大好き

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