「【途中下車】生まれた場所、山口県下松市へ」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

昨日、急遽沖縄から大阪経由での福岡入りになった。
デスクワークを一気に進める今日と週末になる予定だった。
よって滞在場所については一部変更。

昨晩、大阪からの新幹線は山口県は徳山駅で下車。
そのままバスで隣の下松市へ。
ホテルにチェックイン。

ここは私が生ま育った土地。
中学の二年生の夏まで住んでいた(その後、島根へ)。

昨夜、ホテル周辺で食事をするのにふらっと歩いた。
だいぶ変わっている。当たり前のことだが。

食事後、ある場所に歩いて向かう。
そこは大きく変わっていた。
でも、そこには自分が生まれた時の家の名残があった。しっかりと。

目の前のことに右往左往している今の自分が、その場所に対峙する。

そう、そこで私はもっとシンプルに生きていた。
物事や人との距離も、捉え方も。
その分、傷つくことや悲しいこともあったけど。
確かに、今の人格や考え方のルーツが、親との思い出と共に、ここにある。

生まれてきてよかったなんて、普段はあまり意識しないが、ぐっとそう思った。
産んでくれてありがとう、とも。

一晩明けて本日。
朝、近くでレンタカーを借りた。
自分を遡るように午前中で一気に巡った。

通った幼稚園から小学校、中学校(二年生の夏に島根に転校)。
よく連れて行ってもらった笠戸島や虹ケ浜海水浴場、D51公園など。
ボーリングやゴーカードのあるスポーツセンター、市民体育館に武道館、プール。
当時から有名だった「紅蘭」というラーメン屋。
そしてよく家族でお参りにいった「花岡八幡宮」。
この土地で住んだ家は四か所ある。
その内、生まれた時の家以外は、今のそのまま残っており、誰かが住んでいる。

あの頃よりも全然街が小さく感じた。
私の歩幅が小さく、視線も低かったからだろうか。

当時は、色んな所に行くのに離れているなーと感じていた。
でも、今は、こうして歩いてもすぐ。
車なんかで移動すれば、あっという間だ。
助手席や後部座席にいた時よりもぐっと短く感じる。

でも、その理由は、体の小ささだけではないだろう。
いかに普段、あくせくと先を急いで生きているということもあるかと。

今は人生の後半の始まりだと思っている。
そしてここは人生の前半の始まりの場所、土地。

あらためて思った。
もっとシンプルに生きたいと。

社会で生きていると、しがらみが増えるのは仕方が無い。
本来、不要な情報も垂れ流しに入ってくる。
そして、それが気になって不安になったり、落ち込むことも多い。

でもね、本当はもっとシンプルでいいんじゃないか。
だって、しがらみや情報のために生まれ、生きているわけじゃないから。

自分の家族との時間を空間を優先したい。
次に、興味があることに個人として取り組む。
そして最後に、そうやって生きるために働く。

本当はそれでいいはずだ。私にとっては。

二度と来ることもないかもしれないと思っていた、生まれ故郷。
この土地に立って。私はそう思った。

ありがとう。そして、あらためて、さようなら。
刻まれているとわかったから、奥底にあったから、もう私は大丈夫。

以下、少し多いが、写真で振り返ろう。

青春は回り道。

ありがとう。

サムネイルにするのは、父親によく連れていってもらったここにしよう
まずは笠戸島の笠戸ドッグ
大城は綺麗にリニューアルされていた
大城近くのここでよく遊んだ
当時のままの運転席
笠戸島への橋
光市の虹ケ浜海水浴場
家族との思い出がいっぱい
父はゴルフの内っ放しで、私はゴーカードに乗った思い出がある。
この中のゲームコーナーで遊んだ記憶が思い返される
ここでもよく泳いだ
リニューアルしている紅蘭
見た目よりあっさりして美味しい
剣道の大会でよく来た
ああ、こういう感じだったね
体育館裏の武道場
ここでの剣道の大会で優勝した思い出がある
母親とよく行った山鳩、後でコーヒー飲みにこよう。
残念ながら山鳩の隣の錦星うどんは閉店していた。剣道の帰りに母親に連れていってもらった。懐かしい。
母校の中村小学校。日々、剣道で通い続けた隣の体育館は立派になっていた。
母校の四恩幼稚園。
花岡八幡宮。階段が長かった。
末吉のおみくじ。そう、それでいい。
父親のお使いでピールを買いに行っていた酒店、そしてよく遊んでいた隣の公園。
生まれた家の近くの車の販売店。広告チラシをみて、イベントでよくきた。
当時はなかったホテル。ここが今回の宿。

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