「下松での同級生との再会」〜置手紙〜

なあ、オマエサン。

今はちょうど日付が変わって28日の午前。
下松市のホテルにいる。当時住んでいた自宅のすぐ近くの。
明日の日曜日まで滞在予定。

昨日の金曜日、午後から猛烈にデスクワークをした。
夕方になんとか一区切りつけて、雪の中、外出。

父親との思い出がある「長崎ちゃんめん」に突撃。
昔はね、あまりちゃんぽんが好ではなかったんだよね。
でも、店内に中に入ると当時の記憶が蘇ってくる。
注文した「ちゃんぽん餃子セット」が美味しいじゃない。今はね。

ちゃんぽんを食べていると、ぶるぶるとフェイスブックの通話着信が入る。
おお、遡れば母親同士が交流もあり、同じ幼稚園だった山下圭三氏からだ。

この置手紙を見たとのこと。
今、どこにいるの? 飲まないか?とのこと。
おお、もちろんですとも。
多分、35年ぶりの再会だ。
電話やメッセージも交わしていない。

彼の活躍は、フェイスブックで把握していた。
彼は地元の周南のメディア媒体代表として活躍している。

もちろん、彼なりの展望や苦悩もありながら積み重ねているのだろうが。

当時の中学時代の共通の知人のその後の動向を聞き、写真を見せてもらった。
嗚呼、そうだね。確かに私もその人たちと過ごした時があった。
違う土地で暮らす私はその写真にはいないけど、その人達と35年前は一緒にいた。

嬉しくも、少しだけ哀しい。
なんで哀しいかは、よくわからない。

途中からA氏が加わる。
彼は六年前に彼の東京出張の際に新橋で会った時以来だ。
でも、この場所で会うとまた感慨深い。

二人と会わなければ思い出せない人も多々いた。
ああ、そうなんだ。あの人と今も付き合いがあるんだねと。

あと、当時の私の実質的な初恋も思い出した。
あれは、中学一年生のことだ。いや。二年生だったか?
ああ、周囲からすると、そういう見方だったのかと知らされる。
当時、一部の先生たちから、そう思われていたのは覚えている。

でもね、本当はごくシンプルだったんだと思うよ。
それぞれも、お互いにも。たぶんだけど。

それも、あることがきっかけで、互いの親を学校に呼ばれて、それで終わり。
これは私が起点だった。腰が引けた私がダサかった。

その後、私は島根に転校した。中学二年生の夏に。

広島での大学浪人生活の際、予備校の寮の隣部屋の人物が、偶然、彼女と同じ高校の人だった。
それがきっかけで、当時、熱海にいた彼女に手紙を出してみた。
そして、それで完全に私の中の変なもどかしさも終わった。完全に。

今はもう、そんな昔のことを思い出すことはない。
でも、この土地の自分で、今よりもシンプルに生きていた自分の奇跡の一つではあるか。

兎にも角にも、ルーツに触れさせてくれた、山下氏とA氏に感謝。
本当にありがとう。

一息ついて、日曜日にまた、ここを離れます。

青春は回り道。

ありがとう。

中学二年の夏まで過ごした中学校
山下圭三氏と。A氏の写真が手元にないぞよ!

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